山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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2020年1月22日
精神的大国に向かって -今必要な「心の開国」-
矢澤俊彦
「日本人はもっと魂を危険にさらすべきではないか。弱い魂は否定的なものを受け入れられず、それを排除して自己同一性を保とうとする。しかし本当に強い精神は否定的なものを受け入れ、それを媒介としてより高次な生き方をする。そのような高次の新しい精神が、日本の新しい文化を生み出すことになるのではないか」(大木英夫『宇魂和才の説』)
戦後の低迷 戦後の虚脱、そして虚妄、さらにあの三無主義(無気力、無関心、無感動)から、私たちはまだ十分に脱却できず、閉塞と低迷で悶々としているようにみえます。でもこれは仕方がないこと、いやこれでいいんじゃないか、とも思われます。またへたなものを政治権力の側から持ち出されたら大変なことになるからです。その大変なことになったのが明治時代からの歩みであり、アジア太平洋戦争でした。そこで飛び交ったヤマトダマシイなるものも、明治の支配者が戦略的に捏造したものです。「和魂洋才」というのは、幕末の開国以来、まさに圧倒的な西洋文明の流入の中で、この国を守ろうとする苦肉の策から出たものでした。軍備・産業・科学技術などは欧米から取り入れるが、民族の魂までは奪われないぞ、という心意気の表現でした。でもその「和魂(わこん)」なるものも内容不鮮明で、ただ我が民族の精神的誇りと優秀さを言いたかった。それは根拠なきもので、今振り返ると、何だか劣等感の裏返しのようです。
軍国主義の死滅 ところで気になるのは、まだこの和魂洋才でやっていける、と思っている人々がかなりいることです。ここはみんなでよく考えてみなくてはなりません。あの戦争は米英の物量の豊富さにねじ伏せられたのであって、精神的にはこちらの方が上なんだという。私はこれは唾棄すべき錯覚だと思う。敗戦の理由は物心両面を含む文化的総合力の差でした。これで思い出すのは映画評論家の佐藤忠夫さんが、戦後見たハリウッドの「風と共に去りぬ」などの娯楽映画の制作時期が、なんとあの大戦の只中であったと驚きながら記していることです。以上の認識にまず立って、改めて国造りに励まなくては、と思います。無論それまでの日本がすべて否定されたのではありません。この国には長い歴史と伝統があり、この豊かな四季の中で養われた美しい文化の花々が咲いていることは多くの外国人も評価しているところです。ただし、あの軍国主義を指導した魂は、1945年夏をもって完全に死滅したことを確認しましょう。我々はそれまでの日本と断固決別したのです。そしてこの事こそ、中国や韓国も確認したいと思っているところと思われます。
経済大国も砂上楼閣? さて、それからの歩みは焼野原と化した国の復興に追われ、私たちは自らの精神の空虚にあまり気づかなかったのです。これを自覚させてくれたのは、あの1980年代のオウムの青年たちでした。彼らは世界観と愛情を持つ父母を失った寄る辺なき精神的みなし子だったのです(拙著『ただ愛されぬ者だけが人を憎む』参照)。その後経済大国といわれながら、その内実はどこか「砂上楼閣」のような頼りなさを感じたものです。そのうちに、二度の大震災に襲われ、この国がある意味で丸はだかにされてしまったのではないでしょうか。
新しい文化創造の大チャンス しかし戦後70数年、ここまできてやっとこの国の精神的文化を建て上げる環境が整ってきた、という思いがするのです。なんとか生活を楽しむゆとりも出てきましたし、意義ある学習の機会や材料はもう山ほどあります。精神を圧迫する内外の圧力も強いものではありません。もしかしたら私たちは、この国の歴史上、最も自由なよき時代に遭遇しているのではないか。いや、確かに今がビッグチャンスなのです。
ひきこもりでも基礎体力を でもこんな時、ひきこもりや閉じこもりの現象があるのはどうしてでしょうか。それが青少年だけでなく、国民全体のどこかに潜む気分であるとすれば気がかりです。でもこれはしばらくの充電期間であるとも考えられます。情報化やIT革命などを含む社会変化のあまりの急激さの中で自分を失いかけ、「ちょっと待てよ、まず一人になって」自分を確かめようとしているのではないか。その孤独の中で、外界に向かう基礎体力を養っているなら、これは必要な時間です。この期間に、例えば日本語はもちろん、英語など必死で学べば、将来の力になることでしょう。
さて、この恵まれた千載一遇ともいうべき好機を生かして、これからこの国を強靭な精神的大国に育て上げ、危機に瀕する世界に貢献できるようにするにはどうしたらよいのでしょう。そんな願いを持ちながら、浅学菲才な私ですが、思いつくままに幾つかのことを並べてみましょう。
1. 無知の自覚 今眼前に広がる世界を前にして、実は自分は何も知らないのだ、という衝撃的体験です。言葉だけ覚えていても、社会も人間も、歴史も芸術も戦争も、何も本当には分かっていない。私はインドで裸足のリキシャ運転手を多く見て、今の世界について何も分かってはいなかった、と涙したのです。
2. タコツボを出る そこは、ぬくぬくとして居心地よさそう。でもこれは危うい。やがて幻のように消え去ります。悪しき例はトランプ外交です。自国の利害と文化的たこつぼに浸っている。さすが大きな壷ではありますが。これは他山の石としなければなりません。あの縄文時代の森の文化が一神教の世界を救うと大言壮語する梅原猛流の考えも、狭い日本的たこつぼです。
3. 七福神も外国産 7つのうち5つはヒンズー教から渡来したもの。仏教も元は輸入品。中国文化の影響は論を待たず。どの国や民族にも変転を重ねた精神の歴史があります。ヒトラーがドイツ民族の優秀さを学者に研究させたというのは愚の骨頂です。同様に歴史を一貫する純粋な日本精神などというものは存在しないのです。自然の世界でも、この国の草木や花々は多くが外国産。食料も最近ではラグビー選手まで(笑)。いいものはいい。出生地にこだわることはありません。
4. よきガイドが必須です 高山登頂と同様、世界に本格的に出かけるには案内役(メンター)に人を得なければ危険です。でないと軸足を取られ自己を喪失したりパニックになってしまう。それでは元も子もありません。国際結婚の困難もここにあります。仏教説話の「盲亀浮木のたとえ」を思い出します。盲目の亀が大海に浮かぶ、ただ一本の救いの丸太を探し回るという不可能事を暗示するものです。私のメンターの一人は、智の巨人と言われる寺島実郎先生(日本総合研究所会長)です。
「異文化圏のなかで、背負ってきている歴史や環境がまったく異なる人と単身向き合うことが、どれほど辟易とするくらいしんどいことか。・・・絶望や屈辱も含めた異文化のさまざまな摩擦や衝突を経て、わたしたちは次第に自分を多面的な鏡に映し出していくことを覚えるのである(寺島実郎『世界を知る』)」。
5. 自分の心を開く 時間をかけて何十もの外国を旅行してきたのに、退屈極まりない話しかできない人がいます。出かける前とどこも変わっていないように見える。その人は多分、心を本当に開くという危険な技に踏み込めないで来たのです。虎穴に入らずんば虎児を得ず。逆にその烈々たる心さえあれば、たとえ四畳半にいたとしても世界認識は不可能ではないでしょう。その思いが無ければオリンピックを何回やっても国際理解は深まらないのでは?
6. 主権在民という大革命 今後の日本の国造りの礎石は、「国民主権」と「人権」です。それまでの権威主義的タテ社会に代わる徹底的に個人を大切にするヨコ型社会を創るという実に革命的な作業を日常生活のうえでするのです。これはある意味で政治制度の改革よりも大変なのです。
7. 食わず嫌いのキリスト教 おそらく不幸な戦争の影響もあった故か、私たちは西欧文化を育ててきたといわれるキリスト教をあまり知ろうとはしません。どこかに私たちを苦しめてきた文化を恨みがましく思っているのかも知れません。でも、私の知る限りこの宗教は西洋文明のみならず、他の諸文明の育ての親でもあるのです。これは我々にとっても有力な武器となり得るものです。例えば、そこに現代に必要な国家民族を超える原理があります。特に旧約聖書の預言者の精神は痛烈です。
「主(神)は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのよに見られる。・・・また、もろもろの君を無きものとせられ、地のつかさたちを、むなしくされる(イザヤ書40章)」。
この上帝なる存在のもとで、政治も正され、戦争責任の問題追求も徹底できるでありましょう。
キリスト教の宣教が帝国主義の時代と重なったのは大変不幸でした。元来は自分を低くして、相手を生かす慈父また慈母のような宗教なのです。
これまで日本は優勢な西洋文明になんとか追いつこうとして懸命な努力を積み重ねて来ました。その無数の先輩達の苦労は実に涙ぐましいもので、深い深い敬意を捧げなくてはなりません。でも、その文明の成果の上澄みだけを掬(すく)い取るのでなく、これからはそれらが出てきたルーツに迫る時が来ています。これによりその底力に触れることができるからです。なお付言すれば、キリスト教信仰は私たちに必要な自己肯定感を与え、生命力を増強し、戦後長かった低迷からも引き上げ、新しい文化創造のエネルギー源ともなっていくことでしょう。これがすすんで日本のクリスチャンも強くなり、やがて諸外国を圧する「黒船」のようになることが期待されます。
8. 言論の抑圧から解放されて 江戸の封建時代と軍国主義時代が長かったせいか、私たちは今でも見えざる抑圧を受け、自分の考えを思うように口にすることができません。同調圧力という傾向もあります。しかし、もうこれらに打ち勝つ逞しい発信人間とならねば。私はこれを幼児教育からの大事な課題だと思っています。力のある誰かが大声を出すと皆、それに唯々諾々とついていくような「令和」の時代としてはなりません。
心の開国の時 西洋的近代化を迫られた国々は皆大変な苦労を強いられました。日本も例外ではなく、その過程であの戦争に訴えるという大失敗をしてしまいました。今度こそ諸国民と協調し平和な世界を創らなくてはなりません。いまや世界全体が存亡の危機にあります。その中で日本が周囲の潮流に流されず、難破もせず有効な舵取りをし、多少でも国際的貢献を成し得る為に私ども自身が心の鎖国を解いて進んで行こうではありませんか。
以上、政治や宗教の話題は御法度というサークルも多い昨今ですが、拙文を掲載して下さったことに感謝します。楽しくスマートな座談や対話が開けることを期待しています。
鶴岡市の文芸サークル誌にこの春掲載されるものです
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