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山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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お金を全部捧げた貧乏な女の人 マルコによる福音書章12章41~44節
2026年7月6日
(礼拝カード NO.12 お話 江口園長先生)
★ 私たちの人生は、不自由の連続かなと思ったりします。なぜ、不自由なのでしょうか。人より幸せになりたい、良い生活(豊かな生活)がしたい、出世したい、健康でいたい等々、沢山の欲望が膨らむと、手に負えなくなります。その欲望の多くは叶うことがなく、適っても消えていくものが殆どです。消えてしまうから、また追いかける。そんな繰り返しです。これらの全ては、人と比べることで生じる欲望と言えるのでは!隣の家が、大きく立派な新築の家を建てました。その家がどんなに立派で大きくても、自分の家が小さくなるわけではない。それでも人と比べて、やきもちを焼いたり、自信を失ったりする。
★ ロビンソン・クルーソーのように孤島でひとりぼっちで暮らせば、自由か不自由か、不幸か幸福か、自分が善人かどうかもわかりません。それこそ究極の自由かもしれませんが、私たち人間は集団の中で生きていますから、どうしても周りと自分を比べてしまいがちです。この習性さえ捨ててしまえば、随分、人生、楽に自由になるのですが。
★ 今日の聖書のお話しは、イエス様が、神様を礼拝する神殿(ユダヤ教の)で、献金する人々の様子をご覧になられた時のことが書いてあります。イエスが生きた時代は、今の日本の格差社会どころか、超格差社会と言っていいでしょう。豊かな人はほんの一握り。権力を握った為政者、或いはユダヤ教の祭司、法律の専門家と言った人たちが社会の富裕層でした。
★ 富裕層の人たちは、全人口の1%に満たない。一方、貧しい人たちは地の民と言われ、一日の一度のご飯を食べることすらできない、よって飢えて死んでいく人たちは99%もいるという時代。
★ ユダヤ教の神殿で人々が献金する時、祭司たちは、その額がいくらなのか、礼拝に来ている人たちに大きな声で告げたと言います。祭司たちは、そうすることで、高額献金者を優遇し、ほんの僅かしか献金しない人を見下しました。献金する人の金額で、人を尊ぶか見下すか。果たして、それが本当の礼拝でしょうか。神様への礼拝で、神様は、お金の額で人を、人を判断するなどあり得ません。お金の額で、人を判断する礼拝の在り方を、堂々と批判したお方こそ、神の独り子、救い主メシアなるキリストです。
★ 有り余る資産の中から、人々にひけらかすように捧げられた献金、それは神様への献金ではありません。富裕層の人たちのお金、資産って、本当は誰のものですか?その人が努力して得たからその人の物、資産と言えますか?その資産をその人に与えたのは、実は神様です。神様がこの世界のすべてを創られた。
★ どんな豊かな人がいても、イーロンマスク氏の資産は175兆円と言います。その数字を聴くだけで、「うおー、凄い」と誰もが思うでしょう。けれど、永遠の神様、この世界をすべて創られた神様の豊かさ以上に、資産を持っている人など、この世界にはどこにもいません。
★ 神様こそが、この世界のすべてのものを持っておられるお方です。1人の貧しいやもめが、当時のお金で最も価値の低い今の日本の硬貨で言うと、1円ならぬ、1銭×2=2銭を礼拝の献金で捧げました。それを見ていたイエスが、「このやもめこそ、誰よりも多く捧げた。なぜなら、この人は生活費のすべて、持っている物すべてを捧げたからだ」と、彼女を絶賛しました。
★ 生活費の全てを捧げることのできる人は、この女性以外にいません。彼女は、お金に固執する人ではなかった。お金から自由な人です。神様に全てを委ねることのできる人でした。こんな女性になれたらいいですね。
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