山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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癒されたのは10人 感謝に来たのは1人
2024年6月17日
(礼拝カード NO.9 お話 奈緒先生)
★ 普段は誰もいないような町外れの橋の下から幾つものうめき声・・・「痛いよう、苦しいよう」「誰か来てくれー」という声が聞こえてきたんです。
★ 「あれは、らい病人だ、イエス様近づいちゃいけませんよ」、と弟子たち。でもイエス様の足はどんどんその声の方へ・・・。弟子たちは呆然としてそこに立って心配そうに眺めているばかりです。
★ らい病というのは、ばい菌のために、手先指先から鼻・耳・眼のような所が段々腐って溶けていく・・・・・・という恐ろしい伝染病でした。これにかかるとみんなにうつるので、家や町から追い出されて、橋の下とか谷底とか森の中に隠れて住まなくてはなりません。食べ物は家族やお友達が包みにして投げてくれたりしたんです。
★ イエス様が近づいてくるので、病人はびっくりしました。その人数はちょうど10人です。「もうそれ以上そばにきちゃあ駄目・・・」、とみんな言いましたが・・・イエス様は平気でみんなの肩を叩きながら、「そうか、それは大変だったねえ。悲しかったねえ。よく生きてきた、感心だ・・・」、など色々お話したり励ましたりしています。遠くで見ているお弟子さんのハラハラ・ドキドキったらありません。「あれ、あんなに顔もさわっている。イエス様も、らい病になっちゃう・・・」。そこでイエス様は天に向かって大きな声で「神様!この人たちを治して下さい。」と大声で叫び祈りました。
★ そういうイエス様の顔は輝き、全身は力で満ちています、「こんな人は見たことがない。大体こんなに近づいてくれる人なんか誰もいなかった。いったいこの方はどなただろう・・・」。
★ そのうちにこう言われました、「さあ、私を信じて町のお医者さんに体を見せに行きなさい・・・」。「でもまだこんな体ですよ・・・」・・・「天の神様にお祈りしながら出掛けるのです。きっと助けてくれるでしょう・・・・」。
★ そこで10人は半信半疑ながらイエス様の優しい顔に送り出されてゾロゾロ歩き出しました。弟子たちは呆気にとられるようにして一部始終を眺めていました。
★ さて10人が町の近くにまで来た時です。「おい、お前の顔に手をやってみろ。鼻も耳もきれいになってるぞ」。「えっ、すごい。おや、それじゃあ、あんたの目もよくなったんじゃないかい・・・」。「おーい、みんなよく見ろ。全部きれいになってるぞ・・・」。「そうだ、足も手も元通り、これならバリバリ仕事も出来るぞ」、「万歳!ばんざい!10人の喜びといったらありません。みんなお互いの体を触りあって何度も万歳を繰り返しました。
★ さて、そのうちの1人の少年は自分の病気が治ったことを確かめると、心の底から感謝の念がわいてきて、大地にひざまずいてお祈りをしていたのです。気づいてみると、そこには誰もいません。みんなどこへ行っちゃったんだろう・・・まあいいや、僕は早くあの人を探さなくては・・・・・・でも馬鹿だった、お名前を聞いていなかったんだから」。でも少年はそれから3日もかかって、やっとあの人(みんなは知ってるよね)を見つけることができました。「あっ!あの人だ!」と思うと大急ぎで飛びついていきました。
★ その人こそ、イエス様でした。「よかった、よかった、よく戻ってきた。」それを見てお弟子さんもビックリ仰天です。そこでイエス様は言われました。「ところで、でもあとの9人はどうしたんだろう?」と不思議な顔です。きっと喜んでお家に帰ったり、町に遊びに行ったりしたのでしょう。その少年はそれからイエス様のお弟子さんになって、お祈りの大切さを世界の人達へ伝える仕事をするようになりました。
★ ここが、大事な所です。イエス様に治してもらっても、それっきりではダメです。イエス様を忘れて、飛び跳ねていてはダメなのです。深い感謝を持って、イエス様とつながっていること。これが大事です。それがイエス様への恩返しなのです。
★ 尚、らい病は、今ではハンセン病と言われ、戦後 良い薬が出来たので進行することはなく、日本では新たに感染する人は珍しくなっています。ただ、貧しい南の国々では、薬が得られず、多くのハンセン病の人が苦しんでいる現状です。
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