山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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私達の一番汚れたところを洗って
2022年2月7日
(礼拝カード NO.41 お話 矢澤園長先生)
★ イエス様とお弟子さんたちが旅をしていました。雨が降れば泥まみれ、砂漠には砂嵐が吹きまくります。みな全身ほこりだらけになるのですが、一番汚れるのは足でした。裸足の人もいますし、わらじのようなものしか持っていない貧しい人々です。ですから1日も行けば、どんなに真っ黒になってしまうことでしょう。でもそれはもうみんな慣れていました。
★ 砂漠を過ぎてどこかに家を見つけると、そこで休ませてもらうんです。知り合いの人もいました。家に入る玄関のところに、水に入った大きな甕が置いてありました。お家の人が遠くまでくみにいって、そこにためてあるんです。そこからバケツのような入れ物に水をもらって、顔や体、そして汚れた足をきれいにしてお家に入るんです。
★ さて甕の水をお弟子さんが汲んでくると、「さあみんな、今日はわたしが足を洗ってあげるから、そこへ腰掛けなさい」、と言われました。へんなことを言われるなあ、とお弟子さんは思いましたが、椅子にすわると、イエス様はその前にひざまずき、手ぬぐいをぬらすと、はじめの人からその人の足をゴシゴシ洗い始めるではありませんか!みんなこれにはもうびっくりです。
★ なぜならば、足を洗うのは召使や家来やお弟子さんの仕事だったからです。家に帰ったご主人の足は、召使が洗い、お城に帰った王様の足は、家来が洗っていたからです。ペテロの番になりました。そして、こう叫んだのです。「先生が私の足を洗うなんてとんでもないことです。やめてください・・・」。でもイエス様は何も言わずにペテロの足をゴシゴシ。足の裏から指の間から上の方まで何回もゴシゴシ・・・。すると、ペテロは不思議な気持ちになりました。イエス様の優しい気持ちが体中に伝わってきます。体全体も心の中の隅々までも、洗い清められた気持ちです。なんだかとても気持ちよく、夢を見ているような思いになりました。
★ ふと、夢から覚めたようになった時、イエス様はこう言われました。「これからは、みんなお互いに足を洗い合いなさい。一番汚れたところを洗うことはその人の行いも心も綺麗にすることです。そして、お互いにゆるしあうことです。」
★ それを聞いたお弟子さんは、顔を見合わせ、恥ずかしくなりました。だって、怒りん坊はいるし、ふくれっ面はいるし、泣き虫・べそかきもいます。でも、「お互いをゆるしあうように」と言われたのです。怒りん坊やべそかきの足を洗い、ゆるしてあげる時、だんだん怒りん坊やべそかきでなくなるかもしれません。そうしてこそ、イエス様の本当のお弟子さんになることができる。このことを今日のお話は教えてくれます。
★ みんな、お昼を食べる前に、こう祈りますね。「神様、お互いにゆるしあうことができますように、神様の恵みをわけあうことができますように」これこそ、イエス様の教えてくれた大事なお祈りです。卒園しても、大きくなっても歳をとっても、このお祈りを大事にしていきましょう。
★ それでは、このお話がもとになった、讃美歌を歌いましょう。
「イエス、イエス、主の愛で私たち、満たしてください。弟子たちの足、静かに洗い、人を愛する主」
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