山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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一番汚いところを洗ってくれた
2021年2月22日
(礼拝カード NO.44 お話 優香先生)
★ 夏に泥んこ遊びをすると足は汚れてしまいますね。でも、シャワーなどでキレイに洗うととっても気持ちがいいですね。
★ イエス様とお弟子さんたちが旅をしていました。雨が降れば泥まみれ、砂漠には砂嵐が吹きまくります。みな全身ほこりだらけになるのですが、一番汚れるのは足でした。裸足の人もいますし、わらじのようなものしか持っていない貧しい人々です。ですから1日も行けば、どんなに真っ黒になってしまうことでしょう。でもそれはもうみんな慣れていました。
★ 砂漠を過ぎてどこかに家を見つけると、そこで休ませてもらうんです。知り合いの人もいました。家に入る玄関のところに、水に入った大きな甕が置いてありました。お家の人が遠くまでくみにいって、そこにためてあるんです。そこからバケツのような入れ物に水をもらって、顔や体、そして汚れた足をきれいにしてお家に入るんです。
★ さて甕の水をお弟子さんが汲んでくると、「さあみんな、今日はわたしが足を洗ってあげるから、そこへ腰掛けなさい」、と言われました。へんなことを言われるなあ、とお弟子さんは思いましたが、椅子にすわると、イエス様はその前にひざまずき、手ぬぐいをぬらすと、はじめの人からその人の足をゴシゴシ洗い始めるではありませんか!みんなこれにはもうびっくりです。
★ なぜならば、足を洗うのは奴隷(召使)や家来やお弟子さんの仕事だったからです。家に帰ったご主人の足は、召使が洗い、お城に帰った王様の足は、家来が洗っていたからです。そこで、ペテロは自分が来たとき、こう叫んだのです。「先生が私の足を洗うなんてとんでもないこと。やめてください・・・」。でもイエス様は言われました、「もしそうしないと。私とお前とは何のかかわりもなくなります」「今は分からないかもしれない。でもこの意味はやがてわかるでしょう」・・・不思議な言葉に辺りはシーン。ペテロはそれをいつまでも忘れませんでした。そしてイエス様がていねいに自分の汚れた足をゴシゴシ洗ってくれたあの不思議な感覚もずっと記憶に残りました。足から伝わってくるイエス様の優しさの心地よさも。そして元気も沸いてきました。
★ ペテロがこのことの意味が分かったのは後になって自分がイエス様を裏切ったときです。「私はイエスさまなんて知らない」といって逃げようとしたペテロを、優しくじっと見つめるイエス様の眼。あっ、そうだ、こんなに弱くヒドイ裏切り者の自分を赦し大きく包んでくれる。汚れきった自分のこの心をイエス様はきれいに洗い清めてくださる。足を洗ってくれたのは、私のすべてを赦し、清めて下さったのだ・・・そう思うと嬉しいやら、申し訳ないやら、自分の惨めさもこみ上げてきて、泣き崩れるペテロでした。
★ こうして、イエス様は私たちお互いが、許しあい、助け合って生きるようにと教えてくれたのです。
★ こんな歌を歌いました。
♪「イェス、イェス、主の愛で 私たち 満たしてください。弟子たちの足 静かに洗い、ひとに 仕える主よ。」
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