山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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主よ、おぼれそうです!
2020年7月27日
(礼拝カード NO.16 お話 優香先生)
今日のお話で、「風」とか「「波」や「水」は人生のさまざまな悩みや試練のシンボルです。自然の現象に託して、私たちの実生活が語られているわけです。
★ イエス様は多くの集まった人たちにお話をしてから、お弟子さんをつれて大きな湖にやってきました。海のように広い湖で「ガリラヤ湖」といいます。そのほとりに来ると言われました。「さあ、お前たちは小舟にのって一足先に向こう岸に渡りなさい。わたしもすぐ行くから」。
★ そこで漕ぎ出した弟子たち。雲ひとつなく、星が沢山光っている静かな夜です。気持ちよく、おおはしゃぎの彼らです。・・・ところがしばらくすると雲行きが怪しくなってきて・・・やがてポツンと雨粒が・・・「つめてえ」・・・はげ頭のペテロさんが叫びました。それからは雨だけでなく、とても強い風が湖面めがけて吹きおろしてきたのです。ガリラヤ湖は「すりばち型」で、風は激しくなって吹きおろしてくる。「うわあ、すげえ風だ。舟が沈みそうだ」。ガタガタみな震え始めました。生きた心地もありません。「おーい助けてくれー、おれは泳げないんだー、まだ死にたくないー」と泣きそうな弟子も。
★ そんな生きた心地もしないときを過ごすうちに・・誰かが白い影のようなものを見た。そしてその影は段々大きくなってこちらにやってくるのです。嵐の中での白い影・・・ひとみをこらして見入る弟子たち・・・・・・「きゃあー、ゆうれいだー」と誰かが叫んだ。するともうみんな青ざめ死んだ人のようになったんです。
★ 幽霊のような影はどんどん船に近づいてきます。弟子たちは嵐よりもその幽霊の方が怖くなって、「誰か!助けてくれ!」と叫んだのです。その時です、「おい、なにかゆうれいが言ってるぞ・・」耳をすますと、「おーい、こわがらんでいい、わたしだ・・・」・・・波の間から切れ切れに、そんな声が・・・どうもどこかで聞いたような・・・「あっ」とみんな気づきました。雨風でさえぎられているけれど、確かにそれはやさしいイエス様の声でした。
★ それだけじゃありません。イエス様が舟にのりこまれると、あの大嵐がピタリと一瞬にしてやんだんです。「すげえ、雨も風もこの人の言うことを聞くぜ・・・それにイエス様は海の上を歩いてましたよね。ゆうれいのようでも足が見えました。泳いでこられたんじゃなくて、どうして水の上を歩けるんです?」。こう思い切って聞いたのはペテロさんです。「それはね、神様をじっと見つめてるからだ。お前が、わしをしっかり見つめていれば海の上だって歩けるぞ」。
★ そういわれてペテロは挑戦心がむずむず、「じゃイエス様やってみます」。そこで二人は舟を出て歩き始めた。「あっ、歩けるぞ」。ペテロは少し先を行くイエス様に歓声をあげました。すごい経験です。他の弟子たちも大拍手です。しかし・・・しばらくして大きな波がやってきた。するとペテロはイエス様から目をそらし、波を見てこわくなったとたん、ズブズブと沈み「助けてー」。その時イエスの逞しい手がのびてきました。イエス様の手につかまり助かったペテロでした。
★ 私達の生きている現実の生活は大変です。そこに沢山の危険や事故や病気や死などが、無数にあります。まさにそれは暴風雨の吹きすさぶ荒海のようです。今日のお話によると、それらの危険に打ち勝ってしっかり生きていくには、ただイエス様の目をじっとみている時だけ。そこから目を離し、現実の波風に目をやるならば私たちはズブズブと沈んでいくだけです。やっと小さな木片を見つけて沈むことから免れているだけです。イエス様の目をじっと見つめて生きるなら、私たちの生活はすっかり変わるでしょう。
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