山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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私の眼をあけてくれるキリスト
2020年6月15日
(礼拝カード NO.10 お話 裕子先生)
★ イエス様にお会いする道は、色々です。新約聖書には様々な人々が様々な機会や方法によって、イエス様と劇的な出会いを経験していることがよくわかります。そういう意味では聖書はとても面白いドラマティックな物語でいっぱいです。時間のある時にどこからでもよいので、まず福音書と記されているところを読んでみてください。
★ 例えば、前回に奈緒先生が話してくれたザアカイさんのお話を思い起こします。この人は取税人でお金を貯めこむことが生きがいで、イエス様を求める気持ちなど、全然ありませんでした。でも、その時になるとなんとなく心が騒いで、木の上からイエス様を見物していた時、イエス様から「今日お前の家に泊まるよ」と声を掛けられ、自分でもわからない喜びでいっぱいになり、一大変身を遂げたのです。
今日、裕子先生が話してくれたのは、バルトマイという生まれつきの盲人でした。みんなから、バカにされ、相手にされない中で、彼は一生懸命、神様を求め、周りの人達にも優しい思いをもっていたのです。
★ ある日、イエス様が近づいてきたとき、彼は思わず大きな声で、「イエス様、助けて下さい!!」と何回もお願いしたのです。その声は側にいる大群衆もビックリする程でした。「何をして欲しいのか?」との問いに、「見えるようにしてください」その表情の真剣さに激しく打たれたのでしょう。イエス様はバルテマイの両眼に手をやり、祈りながら「見えるようになれ!!」と叫んだ。
★ すると、たちまちのうちに彼の目は開いて、光が飛び込んできて、目の前にいるイエス様の顔が、ハッキリ見えた。それは、どんなに優しいお顔だったことでしょう。「イエス様、見えます。うれしいです。これからはイエス様についていきます。」周りの人が驚くような声で、涙を目からあふれさせて、バルテマイは叫んだのです。
★ ザアカイと違って、バルテマイは「誰か助けに来て欲しい」と、いつも思い、祈っていました。自分が見えないことを知っていたからです。でも、多くの人々は自分の思いや欲望しか意識せず、見えるのは自分だけ、神様も友だちのことも見ようとしない。心の目を失っていないかどうか、これが裕子先生のお話の要点です。
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