山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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大怪我の人を通り過ぎる人たち
2019年5月20日
(礼拝カード NO.6 お話 千文先生)
★ イエスさまにとって「赤の他人」は存在しません。どんな人でも、神様にとって大事な大事な人間です。傷ついた人と出会えば、すぐ助ける、自分の家族のように、です。よそ者でも国やことばや皮膚の色が違っていても。あるときのイエス様のお話です。
★ ある山道を急いでいた旅人が数人の強盗に襲われ、お金も着物もみんな、はぎとられ、なぐられて、もう死にそうな目にあいました。
「いてえ・・・うーん・・」、痛ましいうめき声が聞こえてきます。・・・・・
そこへ立派な服を着た人がやってきました。その人はお医者さんでした。旅人の苦しむその声を聞き、チラッと旅人を見ると、「やばい・ヤバイ」といいながら、むこう側を走って過ぎていった。
次にきたのは教会の先生。でもこの人も同じ、見ないふりをして・・・。
★ でも次に通りかかったのは、馬に乗った男の人です。旅人が苦しんでいるのを見つけると、すぐに近づき、自分の持っていた薬を出して塗り、包帯をして介抱してあげました。そして、自分のつれていた馬に乗せ、町の旅館にまで連れていき、薬を替えたり、包帯を巻き直してあげたりと、旅人が良くなるまで介抱してあげたんです。・・・こうして旅人は助かったんです。
★ でも、どうしてこの人はこんなに優しくなれたのでしょう。
実はね、この男の人も2・3年前、向こうの山道を歩いていた時、同じように山賊に襲われた時、とっても優しい人に懇切な手当てをしてもらって、助かったことがあったのです。その人がいなければ、私は生きることができなかったでしょう。私にとっては、まるで天から使わされたイエス様のような方でした。
それからです。私も困っている人、助けの必要な人に出来るだけ、親切をしようと思ったのです。
★ 「なるほど」と旅人は思いました。そして、思ったことは「私もこれから、同じ様に、人を助けねば。」こうして自分の危険を顧みず、他人を助けるために、生きる人が次々出てくるのです。そうして出来上がったのが、キリストの教会です。
★ 千文先生は、身振り手振りを交え、時に楽しく、時に怖い声を交えながら、話してくれました。
(まとめ-矢澤園長)
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