山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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なぜ兄弟げんかをするの
2019年1月21日
(礼拝カード NO.39 お話 千文先生)
★ ある村に、お父さんと2人の息子が住んでいました。お兄さんは10歳、弟はまだ、3歳でした。お母さんは弟を産むと、病気で死んでしまったのです。父親は、ぶどう園の仕事をしていて、忙しかったのですが、帰ってくると、まず弟の方を抱き上げ、頬ずりし、おんぶしたり、楽しそうです。それを見ている、お兄ちゃんの方は、なんだかつまらない気持ちになりました。お誕生日には、弟には大きなケーキ。でも、兄の誕生日には、小さなケーキだったので、「なんで、弟ばっかり、可愛がるんだ!」という気持ちになりました。また、ぶどう園の仕事を手伝った時も、少し手伝っただけの弟を褒め、たくさん働いた兄の方には、感謝の言葉もありません。こんなことが、重なっていくものですから、お兄ちゃんはどんな気持ちになったことでしょう。なんだか、面白くないですね。「弟ばかり、大事にされ可愛がってもらっているのに、ボクの方には、さっぱりだ。この弟さえいなければ、ボクはずっと楽しく生きられるんじゃないかな?」そう思って、あることを計画しました。
★ しばらくして、天気の良い日にお兄ちゃんは弟を少し遠くの森に誘いました。「あそこには面白い動物も沢山いるし、色んな昆虫もいるよ!もちろん、綺麗なお花も咲いている。思い切って2人でいってみようではないか?」そう言われて、弟は大喜び。お父さんもお弁当を作ってくれました。さて、このお兄ちゃんは何を考えていたのでしょう。
★ そう、とても怖い事なのです。森の奥に入って面白い生き物に夢中になっている弟をそのままにして、お兄さんは、そーっと、逃げ出しました。途中からは、夢中で森の入口の方に駆けていったとき、「ドッスーン!!」お兄ちゃんの体は大きな深い穴に落っこちてしまった。深くて、固くて、冷たいそこから上を見上げました。這い上がる事も出来ません。「たすけてー!だれかきてー!」大声で叫びました。しばらくすると、寂しくなり、悲しくなり、大声で泣き始めました。そして、思い出したのは、弟のことです。「あっ!ボクはひどいことをしてしまった。あの可愛いたった一人の弟をあんな山奥に置き去りにするなんて。なんという意地悪をしてしまったんだろう。」
★ そして、また思い出したのは、前に行っていた教会で聞いた、神様の事です。神様はどんな人も愛していてくれること。一人ひとりの名前を呼んで育てて下さる事。兄弟を大事にすることなど、など。イエス様の悲しそうな顔も思い浮かびました。「神様!イエス様!ごめんなさい。ボクはとんでもない悪者でした。お兄ちゃんなんて、言われる資格はありません。」そういって、「神様、許してください」と祈り続けました。
★ そうしているうちに、自分の名前を呼ぶ声が近づいてきました。そうです。お父さんの声です。大声で「ここでーす!!この穴の中です!!」とお兄ちゃんが叫んで、お父さんの力で、やっと引き上げてもらったのです。お話を聞いた、お父さんは必死になって、やっと弟を見つけました。疲れて泣いて、草の上に突っ伏していました。「ごめんなさい。すまなかった。」と、お兄ちゃん。大喜びする弟を抱きしめながら、お父さんは、神様のことを思っていました。「お兄ちゃんをこんな思いにさせたのは、私が悪かったのだ。私が、イエス様のことを忘れて、自分の気持ちだけで勝手に生きてきたからだ。神様、ごめんなさい。私はとんでもない父親でした。」と深く謝りながら、今度はお兄さんに「悪かったのは、お前より私の方だ。すまなかった。お父さんを許しておくれ。」涙とともに謝るお父さん。
★ さあ、それからはどんなに楽しい生活が始まったことでしょう。兄弟げんかをしないで、仲よくするのは、簡単ではありません。でも、イエス様を通して神様の愛をうけるなら、それができるのです。これは家族ばかりでなく、人類はみな兄弟と言われるようにどんな人との関係でも、国同士での関係でもいえる事です。そこで、千文先生はお祈りし、皆で次の歌を唄いました。♪兄弟げんかをしない日は10日に1度か月2回、なかよくするのは難しい。神様・神様・神様、そのわけ教えて下さい・・・。
(まとめ-矢澤園長)
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