山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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日本人最高の愛の人 賀川豊彦
2018年10月29日
(礼拝カード NO.28 お話 安希子先生)
★ 今日のお話は、賀川豊彦という偉い人についてでした。貧しい人・困っている人・寂しい人たちの為に、懸命に働き、日本人ではイエス様に一番近い人と言われます。生協の入口をよく見ると「万人は一人のため、一人は万人のため」という賀川の標語が飾ってあります。日米開戦の前夜には米国の要人に働きかけ、平和に生きるよう説得をしました。
★ 賀川さんは幼少時代、親に死に別れなどして辛い日々を送っていた時、友だちに誘われて、教会に行きました。気分転換に英語でも習おうかと思ったのですが、やがてそこにいた宣教師の兄弟から可愛がられました。とても、優しく頼りがいのある兄貴のような存在で、やがてその弟のマイヤーズ先生から洗礼を受けたのは、16歳の時でした。そこで賀川さんは、自分がイエス様に本当に愛されている、とことん愛されているという実感を持ちました。そうして、周囲を見ると(彼は神戸にいましたが)もう沢山の人が貧しく、みすぼらしく、哀れな状態でとても人間とは思えない有様なのです。「なんという、ひどい世の中なんだ」とため息をつきました。
★ その頃、ある友人に連れられて行ったのは、山奥のらい病(ハンセン病)患者のところでした。全身が膿んでただれていく人たちを、その友達が怖がらないで、どんなに優しく手当をして話しかけているか。その姿に、圧倒された賀川さんは、それから同じようにその村に通うようになったのです。しばらくすると、今度は神戸の街の郊外に広がっているスラム街(貧民窟)があることに気付きました。そこは、沢山の人がひどい暮らしをしているところです。まず、嫌な臭いがするし、昼間から暗いし、住む家は壊れそうなボロ家。シャツ1枚、あるいは裸の男の人もいるし、食べ物を探している汚い顔をした子ども達も大勢います。これでは、お医者さんなどいそうもありません。でも、このスラムに入って助けようとする人は誰もいないのです。そこで、賀川さんは神様に祈ると、意を決してそのスラムに住み込むことにしました。
★ 「いいですか?そこに通ったのではありません」その汚らしい場所に小さな住み家を見つけ、そこに住み込むと毎日出かけて行って、貧しい人・困っている人・寂しい人や病気の人のお世話を始めたのです。教会の友達にも応援を頼むと、だんだん食べ物や医薬品を届けてくれる人も出てきただけではなく、一緒に働いてくれる人もやってきました。その一人がやがて奥さんになる、ハルさんでした。でも、スラムはとっても広くて、助けが必要な人ばかり。でも、「助けて!」と叫ぶ人は少ないのです。賀川さんは、そういう人の姿をじっくり眺め、「貧民の心理」とか「死線を越えて」などの小説も後年書くことになりました。
★ 例えば、ある日、一人暮らしのおばあさんを訪ねると暗い部屋にポツンといて、嫌な臭いはするし、部屋中はゴミだらけ。誰も近づかない家でした。でも、賀川さんは、おばあさんに優しく笑いかけると、「さあ、いいところにお散歩にいこう!」と言うと、迷っている彼女を背中におぶって、歩きはじめました。周りの人の好奇な目が光ります。行き着いたのは、いつも通っている教会でした。おばあさんを綺麗にして、洗濯した着物を着せると、とてもさっぱりとして、いい表情をしているばかりか、なんと自分で歩いたり、歌ったりするようになったのです。
★ 死んでいたような人間が、イキイキとよみがえったのです。こんなことを毎日するものですから、スラムの人達も賀川さんに感謝し協力するようになっていきました。やがて、賀川さんは日本全体に目を向け、貧しい人たちを助けるために、労働組合運動や消費者組合をつくるなど、幅広い活動をしながら、お話をもし、本もたくさん書きました。その内容を要約すれば、「神様は私達を徹底的に愛していて下さる。どんな人間も人間として大事にされなければならない。」というものです。お話してくれた、安希子先生は「みんなの中から、大きくなったら、この賀川さんのような人になる人が出て欲しいと思う」と付け加えました。
(まとめ-矢澤園長)
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