山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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2023年9月27日
「だって」「でも」の連発はやめたい -「世界」を引き受ける責任感覚を-
矢澤俊彦
私達が多分無意識的に連発する思いに「だって」とか「でも・・・」があります。周囲からの課題や指摘や注文を受けて、それを少しも考えずに反発や反抗をしがちです。そしてその責任は自分にはない周囲が悪いのだ、自分はもうこれ以上出来ないと反発し抗議するのです。
この最も典型的な例は、あの楽園でまずアダムが口にしそしてエバが、更にカインが続けた言葉です。「私と一緒にしてくださったあの女が・・・」「へびがわたしをだましたのです」「・・・私が弟の番人でしょうか」(以上創世記3、4章)という調子です。
この責任転嫁という根強い習性が神様との関係が破られた所からきているというのは、とても示唆的ですね。
ここで相手を責めることをしばらく止めてみましょう。人(々)や職場、今の時代や社会、親や受けた教育又国家民族などを責めないで一度世界全体の悪や重荷に自分が関わっていないか、一度じっくり考えてみるのです。今の時代や社会のせいにしない、むしろそれには自分も責任なしとしない、と掘り下げて行くわけです。現代世界の戦争や飢餓や貧困又自然災害に自分は無関係だとは言えないでしょう。
そうしていくと、自分のあまりの無力さに「もうこれ以上どうすることもできない」と悲鳴をあげることになりそうです。その時こそ失ってきた神様との慕わしい関係を修復し、故障車が全くの新車となるようなエネルギーを受ける、するともう「だって」の思いは消えてゆくでしょう。
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