山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」

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2022年12月20日

手足を失なえば大騒ぎ、自分自身の喪失は平気
―人生の目的成就に向かって出発を―

矢澤俊彦



 この年の終わり(OR初め)にあたって、次のことを考えてみようではありませんか。

 ふと気がつけばこの世界にただ放り出されている私たち。誰からも何の指示も命令も目的も与えられていません。そこで自分は何をしたら良いのか何をすれば幸せになり、悔いなく生涯を終えることができるのかさっぱり分からりません。そこで多くの人が迷い、もがき苦しみ、悲鳴をあげています。

 それは自分というものがわからない、また心の底から求めているものが何であるか分からないという悩みでしょう。小さい頃から「大きくなったら何になる?」などと聞かれながら努力をかさねるのですが、大人になるとますます分からなくなるのです。それまではやたら知識や技術を詰め込まれ、やがてそれほど必然性のないきっかけで仕事につき、一日の大半の時間を食うために使わなければならない。子育てなどでぐずぐずしているとたちまち老いがやってくる、ということになります。「自分さがし」と自分に言い聞かせ懸命に努力している人も、果たしてそれに成功したでしょうか。

 新約聖書に「放蕩息子」の話という有名な物語があります。父親から多額の遺産贈与を受け、おそらく大志を持ちながらも結局は放蕩生活を送り、全てを失ってしまった。お金だけでなく健康も生きる元気も失ってしまったとき、やっと「自分の本心」に立ち返ったというのです。

 多くの人々は問題が十分つき詰まらない内に、偶然出会った何かに身を託すなどしているうちに、人生の終幕を向かえてしまうことが多いのです。

 問題は私たちが本来持っていたはずの「本心(本当の自分)」を失っていることではないのか?それは心の底からの本音のさけびであり、自分をギリギリ突き詰めて気づく「これこそ自分だ」というものです。これは自分自身の「魂」といってもよいものです。それを忘れて来たり、落としてきたり、失くしてしまっています。私たちは目の片方や手足の一本でも失くしたら、大変、大騒ぎをすることでしょう。でも自分自身がどこかにいって行方不明だとしたら・・・、これこそ一大事のはず。でも全くそれが平気で、騒ぎ立てる人は少ない。これは驚くべきことではないでしょうか。人間というものの不思議さを感じさせられます。

 たしかに自己の発見を困難にする要因はたくさんあります。まずこの寒さに始まり、家庭的また社会的責任や重圧、世間への気遣い、現代の多忙や多量にやってくる情報、また怠惰に流れやすい弱さなどたくさんあります。でもこれらに打ち勝たねば、とても中途半端な人生になってしまうでしょう。「もし自分が全世界を得たとしても自分の魂を失ってしまったなら、どんな意味があるだろうか」。これは私の信州長野での小学生時代、近くの銭湯の壁に貼ってあったもので、忘れがたい言葉です。

解決を目指して


 さて、これで私たちの問題はお分かりになったことでしょう。でもその解決は簡単ではなさそうです。私も充分な答えはもっていませんが、日頃考えていることを以下に記してみましょう。

①強い志を まず第一に何としても失われた自分自身を発見し、あるいは取り戻し、迷いから覚めて心の空が晴れわたる日々を生きたい、という願いを心の底から持つことです。「発心」という言葉もありますがとにかく万難を排して、この目的に達したいという強い意志を持つことです。上に記した環境条件や多忙、外圧や内欲、周囲への気遣い、怠惰や肉体的条件などには決して負けまいという勇気ある生活が必要です。
 このことを思い巡らす時、私は救い主キリストを求めて長い苦しい旅に出た東方の博士たちが思いだされます。慣れないものにとって、砂漠を行く長旅には様々な危険が伴います。にも関わらず「何としても」との意志が彼らを支えたのです。

②導の星の必要 砂漠は吹きまくる大風と砂塵のために道がわからなくなってしまいます。その時博士たちを導いた大きな星のようなものがどうしても不可欠なのです。一人ではどんなにがんばっても迷うばかり。そこで大切なのは「良き師(先生)」に出会うこと。それがかなわなければ良き書物、あるいは「古典」とか「伝統」に導かれることです。でもそのためにも登山者にガイドが必要なように良き案内人が欲しいものです。大学のような教育機関は、本来それを提供するという役割があったはずです。その任務を果たせないならその国も人々も膨大な財産やエネルギーを浪費することになります。

③良き仲間も 自己探求の旅はまず自分自身の努力が大切ですが、身近にいてともに歩んでくれる友人も大事です。このことについては記す必要はなさそうです。必死で歩んでいる人には、そのうちに仲間もできることでしょう。
 ここで軽視できないのは、優れた宗教というものです。そこには大きな志をたてて力いっぱい人生を探求してきた人々が集まっているからです。人として身につけるべき叡智も煮詰められた形で存在しています。多くの優れた人生の先輩にも会えることでしょう。
 私の属するキリスト教会も同様です。人間の世界から追放されて家畜小屋で産まれた救い主(「メサイア」)にまずやってきたのは、教育もの無く、世間から軽蔑されていた羊飼いたちでした。ついで遠い東の国の最高の賢者たちが来訪し、自分の人生を完成させたのです。羊飼いも博士たちの喜びも大きなもので、いつまでも続く永遠的なものとなったのです。

④ごまかしをなくすこと 真の自分を見出し、滅びから救うにはその人の内面的条件として自分の心にあくまで誠実であること。言い逃れを許さず、適当なところであきらめない根気強さ、小さなごまかしや偽善を自分に許さない厳しさを持つことです。そしてたとえ長くなっても少しずつ歩んでいくことです。「求めよ、さらば与えられん」との激励の言葉が聖書にあります。やがてついに目的地に達した喜びは、もう何ものにも代えがたいものとなるでしょう。心中のすべての黒雲は去り行き、青空の下で悠然とした勝利の人生が始まるのです。さあ皆さんこの旅をともに歩み始めようではありませんか(鶴岡市本町3丁目 日本基督教団 荘内教会牧師・同保育園長)。

本文は荘内日報に掲載されました



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園長

社会福祉法人 地の塩会
理事長 矢澤俊彦
荘内教会保育園
園長 諏訪瑞代
997-0034 山形県鶴岡市本町3丁目5-36
電話/FAX 0235-25-7070
ホームページ  http://skh.tyo.ne.jp/

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