山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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光と希望と笑いに導く幼な児たち -幼な児は、人類の教師にしてメシアなり-
矢澤俊彦
あの寒かった冬も過ぎ、暖かい春爛漫の時節も近づく中で、市内のどこの保育園・幼稚園も卒園式シーズン。子供たちは、もちろん保護者や見送る保育者たちもそれぞれに心高鳴る日々を迎えています。私自身もその幼な子たちと楽しく過ごしてきた日々を振り返りならが、この子らの天使にも似た魅力を振り返ってみます。
世界の表面には出ないけれど、この社会をひそかに支えているものとして、私はまず第一に子ども(幼な子)をあげ、次いで音楽とお花を挙げたいと思います。もしこの三つが、そして特に子どもの姿というものが地上から消えてしまったとしたら、この世はどんなに暗く、殺伐この上なきものに急変することでしょう。家庭や町や社会全体も暗く、うち沈んでしまうに違いありません。
そんな意味で、子育てには、大変な手間暇がかかり、時に面倒でやっかいにも感じるものですが、確かに私たちは彼らに支えられ、生きる希望を与えられているという気がします。以下に私が日ごろ感じ取っているその大きな魅力を、5つほどにまとめて記してみましょう。
だれでも受け入れて
会社で疲れて帰宅する父親を暖かく迎えてくれる我が子。何かつまらないことがあって、うなだれて登園する保育士さんを包んでくれる園児の優しさ・・・こういうふれあいで、私たちはどれだけほっとさせられ、元気をもらっていることでしょう。
また遊んでいる子らに、「入れて」と言えば、誰でも快く「いいよ」と仲間に入れてくれる。その心の広さ寛大さは感動ものです。
彼らはたいていの人を差別なく、歓迎し受け入れてくれる。どんなに社会的に疎外され、孤独な人も、歓迎される世界があることをも、しっかり予感させられます。「入れて」-「いいよ」、とはそんな意味で、交わりによって生きる人類の「根源語」だ、という気がします。
天真爛漫にして高雅なり
あの無邪気さは、どこから来るのでしょう。友達の笑顔を描いた絵―優しく友情にあふれ、純真そのもの。彼らの口から出てくる言葉に、何の偽りも計算もありません。
幼な子とふれあうのは何と心地よく、さわやかでありましょう。自分にとりついていた邪念も、いつのまにか姿を消しています。
我欲に振り回されていた人も、子らの気高さで清められ、どん底から引き上げられて「高雅」な存在までに高められるかもしれません。
憧れの驚異的エネルギー
生き淀むことの多い大人に対し、子どもというものはいつもエネルギー全開で動き、遊び、歌い、走り、踊りまわっています。休んでいる子など滅多になく、疲れなど知らぬが如くです。絶えず歓声をあげ、叫び、笑っている。その目はいつも何か面白いもの、楽しいものに向かいます。つまらぬものには目もくれません。
私たちは、あんなにして毎日生きられたらどんなにいいことか、と思うばかりです。あの集中力、真剣さ、正義感・・・、どれも大人はかないません。あやかりたくても、残念ながらムリなのです。
ユーモア精神と遊びごころ
遊びとは、その瞬間瞬間がそれ自体目的である楽しい時間である、という定義を思い出します。大人にとって多くの時間は、何かの手段でしょう。そしてその目的である「何か」は、なかなかやってこないのですが・・・。
自分を受け入れてくれる仲間がおり、ぶつかって楽しい対象や環境がある。子どもは周囲世界のどんなものでも「おもちゃ化する天才」(幼児教育者 鴻池雅夫)ともいわれます。
そしてどの子にも宿っているあのユーモア精神の不思議な魅力。その不思議な力でいつも笑い、おどけ、ふざけ・・・。私たちもああいう「遊びごころ」を取り戻したい、と憧れざるを得ないのですが。
地上の闇を照らす天使性
以上をまとめると、彼らはまるで天界から舞い降りてきた天使です。その明るさをもって地上の闇を照らし、人生のつまらなさに絶望している者にとどまる勇気を与え、心を病む者をも優しく包んで笑いへと導く。
幼な子の歌やさざめきを聞けば、悪い醜い思いも恥ずかしくなって逃げ去り、軽やかな気分に。彼らとしばらく遊びこめば、かたくなで硬直していた自我も砕かれるまでになり、まるで死人がよみがえったようにさえなる。
幼な子たちはこうして、この世を照らし、色香を添え、希望を与え、明るくし、病をいやし、力づけ、やがて天国までも私たちを導いていってくれる。
私たちの眼前にいるのは、頑是無くいたいけにして何も知らぬ小さきものと思ったら大間違いなのです。
そこにはすべてを「お見通し」でありつつ、何も知らないように振舞う、まことに心優しき教師の姿がある。我らのために大手を広げ(実際はかわいいちっちゃな手ですが)、さあ、私たちの世界に、と手招きする美しき天使の姿があるのです。
彼らに赦しを請いたい
そこで、世の大人たちよ、この偉大なる存在に今しっかりと気づき、驚きの声をあげるとともに、これまでの無知を深く恥じ、多くの無礼を働いてきたことに赦(ゆる)しを請おうではありませんか!そして、これからは心の奥底で彼らを尊敬し、堕落しがちな自分を引き上げてほしい、と心から願おうではありませんか!
そして幼な子や子どもをほめたたえるとともに、かくも素晴しい存在をおくってくれた造物主に、深甚なる感謝をささげようではありませんか。
なお私事なりますが、私はこれまで45年間勤めさせていただいた保育園長をこの3月末で辞することになります。これまでいただいた多くの皆さんの御支援に心より感謝いたします。教会の牧師としては今後とも続けますので、よろしくお願いします。この機会にメッセージ集『汝の墓から立ち上がれ』を発刊しました。無料で差し上げますので、希望の方は、電話・FAX0235-22-8196までご一報ください(鶴岡市本町3丁目 日本基督教団 荘内教会牧師・同保育園長)。
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