山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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いつまでも「とりあえず」の連発では -生涯を貫く目標や見通しが必要-
矢澤俊彦
新しい年を迎えこれまで過ごしてきた過去を振り返り、これからの人生を思う時、私たちがしばしば用いる「とりあえず」という言葉について考えてみました。
たとえば「とりあえず」学校の勉強をする。大学に入る。とにかく就職する。とりあえず結婚し、出来た子供を育てる・・・、このリストはまだ続きそうです。とりあえず今日は遊んじゃおう。とか外国に行ってみようとか。
その「とりあえず」とはどういう意味でしょうか。それには深い考えや見通しや目的意識が無いのが気になります。やってきた電車にさっと考えも無く、行き先も確かめず乗りこむような感じがします。もちろん多忙な現代ですから、日々あるいは時々刻々に生起する出来事。そのたびに時間をかけた熟慮はとても不可能なので「まあ、いいか」とその場の流れに沿って行動するのも、今の時代にふさわしい処世術でもありましょう。
しかしより大きなこと、とても重要なことについてしっかり考えることも無く、適当にやり過ごしているとすれば、それはまさに「漂流人生」であり、「酔生夢死」に近づきます。
例えば小中高校生達、私が心動かされるのは、災害などが発生した地域でも、なるべく時を置かず授業が再開される。というニュースを聞くときです。そんなに力を注がれる学校というものの不思議さを感じます。児童達が大人達に言われて、懸命に勉強に向かう姿は時に哀れに見えます。敏感な子どもは「なぜこんなに勉強するの」と疑問に感じたり、反発したりするでしょう。ここにも「とりあえず」があります。はっきりした最終的目的を教えられず、自覚も出来ないまま毎日勉学に追いやられているのです。全ては神様と人類にお役に立つため、という明確な教えが必要なのです。
大切なところに来ても、いつも「とりあえず」を繰り返すのは危険です。そこには人生を一貫する目標なり、目的がないからです。やがてとりあえず生きるうちに、とりあえず死ぬほかはなくなります。これでは困ったものですね。
本文は荘内日報に掲載されました
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