山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」

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枝から離れると、ぶどうは実らない

2026年6月29日

(礼拝カード NO.11 お話 萌百先生)

★ あるときイエス様はぶどうの畑にやってきました。立派なおいしそうな大きな実が枝もたわわになっています。でも地面を見ると・・・枯れたりくさってしまった枝がたくさん、もう声も出せずに死にそうなのです。耳を近づけてみると、「頼む、もう一回あの枝につけてくれ」「おれは馬鹿だった、もうだめだ」・・・など、とてもかわいそうな叫び(といっても、もう聞こえないくらいなのですが)で畑はいっぱいなんです。やがて農夫が大きな鎌を持ってきて、その山のようなぶどうの枝をかき集めて・・・どうする・・・そう火をつけて燃やしてしまうんです。あーあ、せっかく元気よく育っていたのに。いったいどうしてこんな悲しいことになったんでしょう?

★ そこでイエス様は少しこわい顔でみんなに話し始めました。「腐って枯れて火で燃やされてしまう枝があんなに山のようにあるんです。もう一度枝につけてくれ、といわれても、もうできない。誰かできる人は?そう、誰もできないね。どうしてあんなになったかお話しよう」。

★ 「ぶどうのおいしい実はね、小さい枝につながっているからできる。その枝はね、もっと太い枝に結ばれているから、そこから大事な栄養をもらっている。その栄養というのは、その木が地面にしっかり張り巡らせている根っこから、幹をずっと上がってくるんです。それを食べないと枝は大きくなれない」。

★ ところがあの枝はこう考えた、「なんだかいつも幹から栄養をもらうのは大変。ぼくはもうくたびれた。ぼくはひとりで大きくなれるのと違うか?だってお日様の光は気持ちいいし、そよ風も吹く。雨のおかげでのどもかわかない・・・。よーし、もうきょうから一人で元気よく生きていこう。必死で栄養なんか食べなくてもいいんだ」。そう思うとうれしくて仕方がありません・・・でも一週間ほどして農夫がやってきて、「あれ、この枝はだめだ、黄色くなりかけている。場所ふさぎだ」、こう言ったかと思うと、大きなはさみでチョキン。「あれれ、痛い、助けてー」との叫びも虚空に消えました。

★ イエス『様はお話を続けました。またある時畑に強い風雨が吹き荒れました。ぶどうの枝はみな必死に太い枝にしがみつきました。でもしっかり栄養を食べてなかった枝は、ボトリボトリ地面に。それからがんばりのきかない枝もボトリボトリ・・・でも嵐の中でも、懸命にお祈りしながら太い枝と絶対離れない枝も。しばらくして大嵐はやんだのです。『よくやったぞ、お前たち』、農夫がやってきてほめてくれました』。

★ そのときお弟子さんの一人が大声で泣き出しました。「ごめんなさい、イエス様。私を助けてください。私は毎日イエス様のことばを聞くのがいやでした。自分で生きていける、とどこかで思ってました。私はきっと黄色くて枯れかかってるでしょう。でもゆるしてください」。枝は私たちのこと、幹はイエス様だということがわかったんですね。そうなんです。大きな幹や枝はイエス様のこと、イエス様のお話、神様の力のことです。それに、ぶどうの枝は私達のことです。イエス様にいつもしっかりつながっていなくては、地面に落ちて火で焼かれてしまいます。こわい話ですね。それでは歌いましょう。

   ♪イエスはまことのぶどうの木・・・。


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