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山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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2匹の魚と5つのパンがどんどん増えて ヨハネによる福音書章6章1~14節
2026年6月15日
(礼拝カード NO.9 お話 江口園長先生)
★ 「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」との言葉は、40日断食をし、空腹をおぼえておられたイエス様が、サタンから「お前は、神の子なのだから石をパンに変えてみろ」と誘惑された時のイエスの返事の言葉です。
★ こどもの頃、イエス様の言葉って凄いなと思いました。が、学生時代、大阪の釜ヶ崎(日雇い労働者の町)で、炊き出しのボランティアの時、パンなき人々の現実の厳しさ、ひと切れのパンさえ手に入らず、ごみ箱の中にある残飯を漁る人たちの姿を見た時に、人はパンがなければ生きられない。「パンだけで生きるものではなく」とのイエス様の言葉は、ただの綺麗事じゃないかって思いました。それを言うなら「せめてパンだけでも、やろうが」と。底辺にいる人々を前にした時の私の率直な思いでした。
★ 韓国の民衆詩人、金芝河(キムジハ)の「飯が天です」という詩があります。「飯が天です。天を独りでは支えられぬように、飯は互いに分かち合って食べるもの 飯が天です。天の星を共に見るように 飯はみんなで一緒に食べるもの 飯が天です。飯が口に入る時 天を体に迎えます。飯が天です。ああ 飯はみんなが互いに分かち食べるもの」。
★ 食べるものさえ手に入らない人たちを目の前にした時「せめて、パンだけでも」は、何よりも優先されなければならない事柄です。けれど、パンが本当の意味で人を生かすのは「互いに分かち合って食べるもの」と言えた時です。だから「飯が天=神」なのだ。「パンだけではない」とイエス様の仰った言葉の意味が、20歳過ぎの私に、少しわかったような気がしました。
★ 今日の聖書のお話しは、イエス様が、お腹のすいた男だけで5000人(女性とこどもを含めると倍以上)の人たちを、5つのパンと2匹の魚で、お腹を一杯にしたという、イエス様の奇跡物語の中でも、最も有名なものです。私などは、イエス様が5つのパンと2匹の魚を、どうやって増やして5000人の、1万人の人たちのお腹を満たしたのかということばかりが気になります。幼児たちは、「イエス様が、お腹のすかせた5000人の人たちを、5つのパンと2匹の魚で、お腹いっぱいにしたよ」と話すと、それをそのまま信じる豊かな心を持っています。この奇跡物語のポイントは、イエス様が「5つのパンと2匹の魚をどうやって増やしたか」ではありません。この時、イエス様の周りに集まった人たちは、当時社会から見捨てられた人たちでした。食べることもできない貧しい人たち、重い病の人たち、障がいのある人たち、娼婦、汚れた霊につかれた人たち、ユダヤ人から嫌われていた徴税人たちです。当時のユダヤの社会が排除した人たち。ユダヤの社会では、当時のユダヤ教では、そういう人たちと食事を共にすると汚れるので、共に食することが禁じられていました。が、イエス様だけは、排除された人たちと共に食事をしたのです。イエス様だけは、彼らを自らのもとに招き、彼らと分け隔てなく共に食事をしました。「5000人の給食」の奇跡は、「パンが増えた奇跡」であると同時に「社会が排除した人たちと共に食事をした、共食の奇跡」なのです。
★ 5000人の空腹をおぼえる男たちを見た時、弟子たちは狼狽え、イエス様に「即、解散させましょう」と提案しますが、イエスが「何か食べ物はないか」と言った時、「5つのパンと2匹の魚が、あります。イエス様。僕はこれをもっています。みんなに、あげて下さい」と言った小さな幼児の心の豊かさ。この幼児の心の豊かさがなければ、あの奇跡は生まれなかったのではないですか。「5つのパンと2匹の魚しかない。さあ、解散」では奇跡を生まれません。「パンは5つもあり、魚は2匹もあるではないか、それを神様に感謝して、みんなで分かち合いましょう」との幼児の心に、私たち大人も倣いたいと思います。
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