山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」

   トップページ > 情報発信 > 月曜礼拝の記録 2025年度

トップページ 園の紹介
園の行事や1日の生活について 幼児絵画展や海外交流について
情報公開 入園案内やお問合せ
園職員の募集について 園長・役員・職員の投稿記事等


情報発信

前のページに戻る






さあ、私についてきなさい
マタイによる福音書章4章18~22節

2026年6月1日

(礼拝カード NO.7 お話 江口園長先生)

★ イエス様には、12人の弟子がいましたが、12人の中で最初に弟子になったのが、ペトロというお弟子さんで、後に12人のリーダーとして彼はイエスキリストの教えを人々に宣べ伝えました。

★ 彼のもとの仕事は、漁師です。ユダヤの国の北部にあるガリラヤ湖で、毎日漁をしていました。漁師とは体を張って生きる人たちのことです。湖が嵐になるかもしれない。少しも魚が獲れないこともある。当然、落胆します。それでも毎日、自分の舟を漕いで自分で網を打つ。そのように自分の人生と仕事を決して避けないで、日々取り組んで働きの中にある人々にイエス様は近づきます。そしてイエス様は、ペトロの漁師としての働きの様子を18節で「ご覧になった」と、聖書にあります。こういう場面が聖書の、あちらこちらに出てきます。イエス様は、12人の弟子たちを選ばれる時、彼らが自分に従うよりも先立って、働きの中にある彼らの側近くに立って、眼差しを彼らの上に注がれるのです。

★ ハンス・リルエという牧師は、「海辺のキリスト」という著書の中で、「イエスが我々の人生のそばにたっている。私たちを、イエスは孤独のままにしておかない。それが本来、福音(イエスの教え、神の国の良き訪れ)の全体に他ならない」と語っています。イエス様は、私たちを見つめています。心の底まで、私たちを、理解と赦しをもって見つめています。これが福音であり、私たちの人生の支えそのものです。

★ イエス様はペトロとその弟のアンデレに19節で「私について来なさい。あなたがたを人間を取る漁師にしてあげよう」と言いました。

★ 「私についてきなさい」は、英語ではcome here back meと言います。直訳すると「おんぶする」と訳せます。私には二人の息子がいます。その二人の息子が生まれて赤ちゃんの時、妻も私も、その時代の子どもを抱く時には、こどもを自分の目の前に抱き、こどもの目と自分の目が合うように、つまり「だっこ」しました。私が幼児の時、母親が、前にだっこするという習慣はありませんでした。つまり、私は母におんぶしてもらっていた。母や子をおんぶして、そして背中にいる子をあやしながら、自分の仕事をしたのです。

★ イエス様の「私についてきなさい=おんぶする」とは、「私の後ろに、背中に来なさい。私があなたを隠してあげて命を守ってあげる」ということでもあります。

★ 漁師の仕事は、網を湖に投げて漁をします。すると、当然、一日漁をした後、網は破れます。漁を終えて漁師達が岸辺に戻り、破れた網を繕います。そして翌日、再び漁に出て網を打ち、一日の仕事の終わりに網は破れる。再び、破れ網を岸辺で繕う。その繰り返しが漁師の仕事です。この漁師たちの姿は、私たちの日常の生活と仕事に似ています。私たちは日々の生活と仕事の中で人と関わり、人と人との関わりの中で、漁師の仕事の如く破れる経験をします。時に体も心も疲れ、傷つきます。日々の生活の中で欠けだらけ、弱さだらけの私たちです。この世を生きることは、破れ切ることでもあります。

★ けれど、そんな私たちの側に立って、私たちの日常の仕事の様子をイエス様は優しく御覧になられ「私について来なさい。私の後ろに来なさい。あなたがたを隠して守ってあげるよ」と呼びかけて下さいます。弟子のペトロは、そんなイエス様の眼差しの中で、ありのままの姿で、イエス様に従いました。

★ イエスキリストは、私たちのありのままの姿を、深い愛をもって優しく包み込み、私たちの破れを癒して下さいます。イエス様の愛に励まされ、私たちは再び、この世の仕事に、生活に出ていくことができるのです。



前のページに戻る