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山形県鶴岡市にある「社会福祉法人 地の塩会 荘内教会保育園」
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岩の上の家と砂の上の家 マタイ福音書7章24‐27節
2026年5月18日
(礼拝カード NO.5 お話 江口充園長先生)
★ 世界中の人たちに、よく知られている教え、仮にイエス様を信じていない人でも知っているイエス様の「あなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。汝の敵を愛せよ。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも太陽を上らせ。求めよ、さらば与えられん」等の教えを、山上の説教と言います。
★ その説教の最後に出てくるのが「岩を土台として家を建てた賢い人と、砂を土台として家を建てた愚か者」の喩えです。岩を土台として家を建てた人のことを、イエス様は、神の言葉を聞いて行う人と褒めます。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いても岩を土台としているから倒れないと。一方、砂の上に家を建てた人は、神の言葉を聞くだけで行わない人であり、雨が降り、洪水が押し寄せると簡単に倒れると語ります。
★ この箇所を読む殆どの人は、自分は、砂を土台として家を建てるほど愚かではないと思っています。私もそう思っていました。このイエス様の喩えで、砂の上に建てた家は「倒れてしまう」とあります。「雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつける」というのは、もし、そういうことがあればという話ではない。それは必ず、誰の人生にもあることです。どんな人にでも。たとえエリートの道を歩く人間であったとしても。必ず、そういう時はあるのです。誰もが、人生のどこかで躓き、たった一人で考えなければならない時がある。本当に孤独の底に立つような時がある。つまり、そこでその人の人生の勝負が決まる時があるのです。
★ その時、彼を照らすのは何かといえば、親の生き方です。親はどうしたか、です。親は、何よって子たちの前に立ちはだかったのか。親がこどもたちに伝えなければならない最大のものは、家とかお金とか、そんなものではない。親の生き方、親の信仰です。
★ 荘内教会保育園の可愛い園児の保護者の皆様は、何を人生の土台として生きていますか?イエスは言うのです。神の言葉を聞いて行うことを、人生の土台としなさいと。
★ 以前、私の知人のカウンセラー(不登校、閉じこもりの問題を専門とする)が、こんなことを私に呟きました。「不登校の子を持つ親の多くが、自分の生き方を定めていない」。「生き方の定まらない親は、こどもの前でも、自分の仕事上での不満をこぼしたり、こんな人生を送るつもりではなかったと、ぼやいたり、こんなはずではなかったと、不本意に生きている様を子どもの前でさらけ出してしまう。親が迷いを見せれば、子が迷うのは当然では」と。厳しいなと、私は思いつつ。けれど納得しました。
★ 是非、園児の保護者の皆様、神の言葉を聞いて行う(=信仰)人となってほしいと願っています。
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